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格差社会の日本で生き抜く事と自己責任の裏で起きたレッテル張り。

今回の記事は結構あいまいな部分が多いです。ご了承ください。

近年共働きが確かに増え、そして非常に給料が良いという中でも”格差”が生まれ続けていると思う人が増えています。それは一概に富の一極化という部分も含まれており、最終的には年収が100万円になるというのも当然というような風潮に成り果てているが、この物価上昇の社会で本当に生き残れるのだろうか・・・いや無理だろう。

というのもネット上では、お金持ちが得をする社会構造になっているという風潮があるにも関わらずその低下層と言われるであろう人たちの中では自己責任論を唱えている為だ。いや、そうではなくて動こうよ?とは思ってる。

というのも実際に”すき家”などのチェーン店でストライキが起きていたように実際はそのフリーター派遣社員も声を出すという事が最近は起きているし、さらには悪い話だがバイトテロなんて言葉もある。こっちはべつにストライキという訳ではないが、こういった問題を起こしてしまう”管理能力・教育力の無さ”を浮き彫りにさせているのが分かった。どちらにしても仕事の分母が大きい以上こういった案件はマスコミで誇大表現されているだけの様に感じている一方不安を煽りながら

現在のサラリーマンでは生きていけなくなる!年収100万だ!

という意見も出る一方実力が無いのを自己責任と言われていると明らかに富裕層の誘導が成功しているなとしか思えない。というのも、格差を自分の責任にしてしまえば資産を持っている人も自己責任になる=自分の実力という様に思えてしまうからだ。

「実力社会なんだよ」

という投げかけに対し未だに年功序列の社会に対して異議を唱えているんだと思えば日本も結構いびつな感じがする。今の若者は確かに可哀想だ。

 

確かに若者がやる気が出ない。というのは納得できる。

 自分も若者だが、今の社会で生きる20から30代の若者・・・もしかするとこれからの若者も含むかもしれないが、一番ひどい世代になるだろうと実感できる。というのは、未だにネット社会としての影響力をつかんでいる人が少ないという所なんだよね。

というのも昔はネットは無くて媒体はテレビや新聞だけ。つまり、情報を取れる場所が決まっているからこそ意見というものがしっかりと受け取れたけど今の社会はネットで本当に何もしらない僕みたいな人が掲示板なんかで唱えると、それは大多数の情報の中であたかも肯定的な意見として発信される。そんな言葉で入り組まれたネット社会で真実なんて見つけられるだろうか?

例えば、日本は2006年の流行語対象の言葉?で”負け組””下流社会”という言葉が流行った。この頃、ネット普及が少なかったというのもあったのだが、そこまで今の社会に対して悲観的な使われ方はしなかっただろう。しかし、アニメなどのコミック主流の世代では伊集院さんの言葉”中2病”という言葉が流行った時はたしてどれだけの人が人を中傷的に使う人が増えただろうか?

どれもこれも寒ければ薄ら笑いや、ちょっとした感情で返していた人間がいっせいに中2秒だ!という言葉で返されていく。つまりレッテル社会の到来がこの時来ていたのだ。

そしてついにその言葉で小説のタイトルが出来上がる時代になってしまった(別に批判しているわけではないが、こういった批判的な誇大表現が使われてしまったという意味での話である)というところで初めてネットやラジオでの言葉が強くなったということに実感できるときがきた。つまり一般的にネットが普及しているということが言えるのである。ちなみに中2病という言葉では現在様々な小説やアニメで使用されていた。逆にびっくりだ。

別に中2病やそういったことを行う事を嫌だと言う訳ではない。

しかしながら、これでこういった表現に対して「あ、そういう人たちだ」という枠組の中で思考する人は確かに増えたと思う。それもネガティブな意味での方だ。後の「働いたら負け」という言葉も散々使われてきたが、こういった言葉で非難する→違うと娯楽のテーマで反論するという動きが増えてきているように感じる。こんな感じで娯楽作品を見ると如何にレッテルに対しての拘束力が強いかを実感せざるを得ない。

 

こんな感じで実はネットやラジオでのネガティブ発言というものが非常に出回り、そしてそれに追い討ちをかけるかのように”こういった人間に当てはまるものはなんだろう?”という思考から自己責任の言葉が色々違う意味で使われ始めていると思った。

というより、自己責任と言われて凹む人は多いだろうに何故労働意欲を下げようとしているのかは全く理解できない。

フリーターは自己責任、ニートは自己責任、低賃金も自己責任!

こういった言葉を言う人たちは聊か周りを見れていない人たちが増えているなぁと実感する。日本人特有の省略形で話す意味合いで全てを知った!という人がいるのは別に構わない。が、それでは貴方達が非難する富裕層の自分だけしか見ていないという偏見の思考と同一なのではないだろうか。

自分たちで出来るのはまず自己責任という社会問題を撤廃したほうがいいということ。

高齢化が増える=若者の負担が増えるというものが高齢者の自己責任に変わる。

 じゃあ仮にこの自己責任論が本当だったとして考えてみる。

これからの社会は富の一極化が進み、恐らくだが貧困化が進むのは確かに間違いない。というのも報酬面での格差もあるが年収という部分ではサラリーマンでは辛い部分もあるだろう。本当にスキルを得ているのかといいう部分で勝負が決まる社会だ。

では、この状態で老後を迎えた人たちが存在して無事に60歳を迎えるだろう。しかしお金が無い。今後の年金は70歳支給だ。このような中で出てくる言葉が自己責任・・・。

「何故老後のことを考えずに貯金しなかったんですか?年金が来ると思ってた?何甘えてるの、来るわけ無いでしょうそんなの。自分の金で生きることくらいしなさいよ。」

生活保護の役員に言われるのがオチである(偏見含んでますが、極論を唱えるネット民ではこういう言い分な気がする。間違っていたらごめんなさい)。要するに日本社会ではもう自己責任でどうこう言える社会でも無くなっているのだ。

それは年金の問題なんて特に政府の問題だし、そもそも破綻しているなら最初からやらなければいい。それでも最低限の自由という言葉を投げかけているのだから・・・生きてきた人に対して自己責任を投げかける社会は果たして世界で「おもてなし」という言葉で有名になった日本なのだろうか?いやいや!もてなしてもいない!ただリピーターが来るように媚び売ってるだけじゃないか!!

となっても仕方が無い気がする。なのでネットで言われている自己責任論自体が結構おかしくて、だけどそれを正当化してしまうのがこの日本のネットワーク社会だ。同意していたらそっちに移るという特性上ネットは非常に弱者には凶器になる。

自分の言葉が人を追い詰めているということに変わりは無い。

富の格差社会の中では自己責任論は討論の決め手にはならない。

 富を一極化されている以上、これからスタートする人には非常に不遇な扱いを受ける人が沢山いるだろう。たまにだが格差社会の中で富を得た人はいるが、それは”本当に一部”である。こういった人たちになれるはずと渇を入れるのなら今頃格差なんて起きているはずが無い。冗談抜きで。逆にそんな事が起きていたら今頃自己責任も違う言葉で語られているだろうなぁ。

元々富が一極化しているとそういう人たちが下にお金を流すかというとそうでもない。例えば総資産が100億円という人がいたとしよう。そしていつもしていることは普通の人の生活。これでは約数十億円を使っても一生は生きれるけど、回さないせいで数多くの会社が倒産している。価値の提供が足りないのか、会社の利益を得たいという思いで嫌になるのか娯楽に対して全く資産を使わない以上こういった問題が起きているはずだ。使えというわけではないが、その数十億円でまず何人の人が助かり、どれくらいの会社の経営が黒字になるだろうとおもってしまう。

まぁ、確かに税金や世間にお金を持っていると知られてはいけないなどの社会的な風習はあるが、それはそれで問題だなと思うわけで。

もし格差を無くしてもまた格差社会を生み出す構造が出来上がってしまっている。

お金持ちはお金を使わないというのは大体納得してしまうのであれなのだが、こういった事をしていると世代間格差が拡大し、本当に自己責任だけで言い通せない社会になってくる。こうなってくると資産家や富裕層は下層の人たちの労働意見として、自己責任や努力論を通そうとするが、格差の固定化がある以上まず労働意欲が起きるわけが無い。

なのでyoutube等など行われている”不労所得”に惹かれる若者が増えているのだろう。特にこういったものは人気に繋がるため、ピケティのような資産分配をしても非常に都合がいい。つまり、労働以外での人気や名声が次の社会で活かされるという訳だ。

アベノミクスの就職率増加は本当に。

アベノミクスでは100万人の雇用者が出たと聞いた。しかし、その中で起きていたのは大手会社の大規模のリストラなどの問題や100万人労働者が増えても実質的に年収が上がったのか?といえばNOで上がっても数十万円程度のものでしかない。それも殆ど大手だけのような気もするし何かおかしく感じてしまう。

正社員がリストラされないのは単に退職金の問題などのコストだけであり、それが無いからこそ派遣はすぐに切られている現状だ。例えば就職率が上がったという部分だけを見ているが、就職したのが本当に正社員なのかという部分には反論したい。3年で切れるかもしれない派遣もあるし、さらには派遣ゆえに労働賃金が実質低下し使いやすい社員が増えただけというのが正直な本音だろう。

低コストで経営をするというのは至る所で起きているのだから、労働が生まれた=年収が増えたという事ではない。それなら今頃派遣というシステムも無くなっているはずだ。派遣社員ならまず結婚も難しいのなら、それは労働者が増えたというだけで根本的な改善ではない。

2015年の就職率は96.7パーセント。この全てが正社員で尚且つ待遇も給料も結婚できる圏内だと思う収入を得れるのはいつなのか。女性は因みに500万円というのが理想らしいが、ここの部分を突破できていない=失敗といっても問題ではない。ただでさえ少子化で年収が足りない貧困がピックアップされているのだから。

派遣でも一生普通に生きれる!!

といえる社会ならいまさらこんなネットの民度が経済面で荒れる事は無いだろうし。勿論派遣で生きている人もいるから一概にはいえないがいつ切られるだろうという不安は大きいと思っている。それが正社員にも広がっていれば・・・。それはさらに問題なのだろうが。

まず家などの固定資産を持たないことで貧困を避けてもいいが・・・。

 話が逸れている気がするがここまで自己責任のような批判的なレッテルが生まれている若者のネット社会は今のところ格差の助長になっており、それを肯定しているような動きもある。それはあまり言いたくないが”うつ”の患者が悪いのは自分のせいだ・・・という言葉を全体に広げているような気がするのだ。今のネット社会は心の病を抱えていると言わざるを得ないのだが、逆にここからはこれからの社会で生きれる方法を模索しようと思う。

例えば、家やマンションなどの固定資産税の価格は上昇するのかどうかという話だ。例えば貧困が増加し、マンションで暮らすような賃貸が増えてくるとこういった問題に対して大規模な税をかける事も最悪あるかもしれない。というのは、お金持ちから取るという思考がもし経済にあったとしてもそれ以外で経営を成り立てれるのだからただの不労所得にスキャンダルが行く可能性があるというわけだ。こういった動きは今で言う生活保護のパッシングに近いと思う。

こういった多少の不労所得で生きれるところに目がいく可能性は今の貧困層の問題では十分にある。そうじゃなければ生活保護廃止の声も普通は挙がらない。生活保護のほうが良いといえるという事はそれだけ今の社会は貧困に満ち溢れているのでは無いか。

こんな不安定な世の中だからこそローンを組んでまで家を購入するのかという部分は慎重になったほうが良い。勿論だが、こういった物価はこれから富裕層の購入に向けて高騰するはずだ。あまり良い話ではないがシェアハウスならぬ結婚も生活のためという人たちが増加するに違いない。

これからの時代生き残るのは価値を作れる人か副業をしている人だけ。

残念なことなのかもしれないが、これからの社会は付加価値を生み出せる人意外は生き残れないだろうと思う。つまりただ単にサラリーマンとして生きるだけでは生き残れる保障は無いという話だ。これは昔と違い飽和状態になった社会では当然の事だとは思う。

それは派遣社員が証明しているが、会社に価値を確実に提供していても破棄されてしまう以上、自分で何かを出来なければ意味が無い。そう、副業の時代になってくるというわけだ。

これからは労働自体が価値の提供になってくる分非常に難しい社会になるのは変わりない。そしてそれを吸収する今の10代は生き残れるとしても今のネットの荒波に飲まれている世代が確実に不遇だと言われる時代の人なのではないか。まさにネット氷河期の時代である。

 まぁ、実際に年収100万円で生活している人もいるという中では本当に見ていかなければならないものだ。本当に見ていく事をしないと本当につらい世の中になっていくだろう。